| 藤掛 |
まさに、サボテンにのめり込んだということですが、どんな経緯があったのですか。 |
| 加藤 |
農家の跡取りだったんですが、小さいころからサボテンが大好きで、病気になっても、サボテンを買ってもらえば、すぐに治るという程のめり込んでいました。19歳になってサボテンをやるといったら、父をはじめ家族や親戚まで含めて大反対でした。当時は食料増産の頃でしたから当然な話です。いわば国賊のようなものだったんですが、それでもなんとか説得して、柿畑を切り開いてサボテン作りを始めたんです。その時、“どうせやるんなら日本一のサボテン家になってやるぞ”と心に誓いましたよ。 |
| 藤掛 |
こりゃ、まさにサボテン病だ(笑い)。 |
| 加藤 |
ただ、販売には苦労しました。反対の父も理解を示してくれ、得意の話術(早稲田大の雄弁部卒)を駆使して、あちこちで売ってくれましたが、日本一には程遠い。友人の紹介で大阪の花卉市場に持ち込んだところ、徐々に売れ出し、そのまま順調にいくかに見えました。
ところが、昭和51年9月の集中豪雨でサボテン畑が水浸しになり、もうダメダと一時はあきらめかけました。しかし、大見得をきった手前、このまま止めるわけにはいきません。 |
| 藤掛 |
名うてのサボテン狂が、それ位のことで引き下がるわけにはいきませんわね。 |
| 加藤 |
おっしゃる通りで…。サボテンしか生きる道はないので、思い直して再度チャレンジしました。それが先程のプティサボテンの開発につながったのです。当初は“変な客が買っていった”と評判になりました。これまで全然来なかったお客が、押しかけて来たというわけですよ。
その後、栽培面積も増やして、現在は10万平米になりました。日本一になったので、自称“サボテン村”と名付けました。 |
| 藤掛 |
女子高生は変な客でしょう。当時の園芸店といえば、来るのは恐らくジイサン、バアサンばかりでだろうからね(笑い)。そこまできたら、一年中きれいな花が咲き、いい匂いがするサボテンをつくってほしいですね。 |